三重大学産婦人科同門会の先生方には、日ごろから一方ならぬご支援をいただいており、ありがとうございます。今回は、三重大学産婦人科が中心となって行っている研究についてご報告します。
(1)胎盤由来の妊娠合併症
胎児発育不全(fetal growth restriction, intrauterine growth
restriction)と妊娠高血圧症候群(preeclampsia)は、胎盤由来の妊娠合併症(placental origin of pregnancy disorders)の代表的なものです。胎盤形成の過程で最も重要な一つに、妊娠8週ごろから18週ごろまでに起こる、「子宮らせん動脈のリモデリング」という現象があります。胎児栄養膜細胞は母体の組織に根を下ろした後に、脱落膜や子宮筋層までも遊走するのです。この細胞を絨毛外栄養細胞(extravirous trophoblast)と呼びますが、この浸潤の仕方は、まさにがん細胞のようです。この浸潤の主な目的は、胎児への酸素や栄養素をより多く運ぶために、子宮らせん動脈を、大きなドカンのような血管に様変わりさせるためです。(図1)
(図1) 正常と妊娠高血圧腎症における、子宮らせん動脈のリモデリング
(Williams Obstetrics, 24th editionから)
絨毛外栄養細胞は自らが、血管内皮や血管筋層に置き換わっていくのです。そのため、母体血と胎児由来の絨毛が接触する空間である絨毛間腔の酸素濃度は、この時期に、急速に上昇していきます。(図2)
(図2) 妊娠週数と、絨毛間腔の酸素濃度(薄青、青、濃青)と臍帯静脈の酸素濃度(赤)
(Ilekis JVら、Am J Obstet Gynecol, 2016から)
この「リモデリング」が障害されると、絨毛間腔への血流増加が不足し、胎児への酸素と栄養素が充分ではなくなります。その結果、胎児の発育が滞ることになるのです。このような胎児発育遅延(fetal growth restriction)は、妊娠32~34週までに起こることがほとんどと考えられており、早期発症胎児発育不全(early onset FGR)と呼ばれています。また、絨毛にある栄養膜細胞特に、複数核をもつ合胞体栄養膜細胞(syncytiotrophoblast)からは、胎盤増殖因子(placental growth factor:PlGF)など、胎盤の血管新生を助ける因子を出し、さらに胎盤を大きくする働きがあります。したがって、胎盤形成期に母体血中の胎盤増殖因子濃度を測ると、胎児発育遅延の発生が予測できるとする報告もでています。
ガス交換や栄養に必要な、胎児と母体血が接触する絨毛間腔への血流減少や酸素化が不足すると、胎盤増殖因子の分泌が減るのみでなく、血管増殖や新生を妨げる因子も放出されるようになります。代表的なものは、血管内皮増殖因子(vascular endothelial
growth factor: VEGF)のリセプターでありながら、血中に遊離している物質でsVEGFRまたはsFlt-1と呼ばれます。sVEGFRは主に、絨毛の合胞体細胞から分泌されるといわれますが、これは、先ほど述べた、胎盤増殖因子にも結合し、全身の血管内皮障害を起こす原因となります。全身の血管内皮障害は、血圧上昇につながり、腎臓の血管内皮が障害されればタンパク尿がでます。また、肺血管は肺水腫につながり、肝臓では肝酵素濃度が増加するヘルプ症候群という疾患が起こるのです。まさに、これが妊娠高血圧症候群です。最近最も信じられている妊娠高血圧の仮説は、「2ステップ仮説」と呼ばれるもので、らせん動脈リモデリング不全と血管増殖・新生を妨げる因子の分泌の2ステップです。
(2)胎盤由来の妊娠合併症に対するこれまでの治療
胎児発育不全と妊娠高血圧症候群の病態を述べてきましたが、この病態を根本的に治療する方法は、現在のところありません。胎児発育不全は、様々な原因でおこるとされています。たとえば、18トリソミーなどの染色体異常、多発奇形、トキソプラズマなとの先天性感染症などが有名です。また、絨毛間腔に血栓ができてしまう抗リン脂質抗体症候群などもあります。先天異常であれば治療というよりも診断が大事でしょう。また先天性感染症であれば胎児に微生物がいかないようにする抗生物質も効果が認められています。また、血栓ができるのであればヘパリンやアスピリンといった抗凝固・抗血小板療法も効果があるといわれています。しかし、ほとんどの胎児発育不全の原因である、胎盤形成の異常、すなわち「らせん動脈リモデリング障害」は、治療する方法が全くありません。胎児が子宮内で死亡しないように、また障害が不可逆的にならないように、超音波検査や胎児心拍数モニタリングで監視して、できるだけ妊娠を継続し、胎児を成長・成熟させることが唯一の管理法です。
妊娠高血圧症候群の治療も、似たようなもので、胎盤を娩出することが唯一の根本的治療です。母体の臓器障害、たとえば子癇、肝機能障害、血小板減少、肺水腫などがでてきたら、娩出しこれ以上病態が進まないようにすることが、最も重要な管理のポイントになります。もちろん、胎児の管理は、先に述べた胎児発育遅延のそれと同様です。
(3)ホスホジエステラーゼ5阻害剤、タダラフィル
この胎児発育不全と妊娠高血圧症候群の病態に根本から迫る新治療法を、われわれ三重大学産婦人科教室が中心となって開発しています。以下に、この現状をお話ししたいと思います。
わたしは、前任地の国立循環器病センターの周産期・婦人科で、多くの循環器疾患合併の妊娠を治療してきました。循環器病の中で、「肺高血圧症」は、死亡率が30%以上という報告もあり、最も危険な妊娠合併症です。近年、この肺高血圧症に対する治療薬が、数々開発されてきており、妊娠中でも安全に使えるために、積極的に投与しました。タダラフィルはその中の一つで、細胞内のホスホジエステラーゼ5という酵素を阻害する薬です。肺血管の拡張には、一酸化窒素(NO)が非常に重要な役割をしています。NOが働くと、血管平滑筋細胞内のサイクリックGMP(cGMP)という物質の濃度が高まり、これが細胞内のカルシウム濃度を低下させ、最終的に血管平滑筋が弛緩します。このcGMPを代謝して不活化する酵素がホスホジエステラーゼ5であり、この酵素を阻害すると細胞内のcGMPの濃度が高くなり、血管平滑筋を持続的に弛緩させ、結果的に肺血流が増加するのです。(図3)
(図3)タダラフィル・シルデナフィルの血管内皮と血管平滑筋への機序
2009年にタダラフィルが市販されるのですが、肺高血圧患者の予後が劇的に良くなりました。我々が、このタダラフィルを妊娠中に投与した3例は、母親の適応により妊娠30週前後にて帝王切開で娩出したのですが、生まれた新生児が3例とも週数の平均体重よりも大きくなりました。肺高血圧を合併している妊婦は、チアノーゼがあったり、多血症があったりして、半分ぐらいが出生週数に比べて小さいことが多いにも関わらず、胎児体重を大きくしたことに、タダラフィルは肺血管を拡張すると同時に、子宮などの内性器への血管も拡張させ、その結果、胎児への酸素や栄養素が増え、体重増加につながったのではないかと考えていました。タダラフィルの適応疾患として、肺高血圧症以外に、内性器の血流増加を狙った、勃起不全や前立腺肥大があるのも、うなずけます。
(4)タダラフィルとシルデナフィル
そうなのです。タダラフィルは「バイアグラ」の商品名で有名なシルデナフィルの、作用持続時間を長くしたものなのです。シルデナフィルも、勃起不全の他に肺高血圧の適応もあります。シルデナフィルの半減期が4時間にくらべて、タダラフィルは4倍以上も長い17時間です。また、シルデナフィルが食餌とともに服用すると、吸収が低下するのに比べて、タダラフィルは食餌に影響されなく一定の吸収量が得られる、という有利なところもあります。さらに、網膜細胞に関係があるホスホジエステラーゼ6阻害剤との交差性も、70倍少なく、網膜の副作用も少ないといわれています。
さて、その後文献を調べてみたら、胎児発育不全や妊娠高血圧症候群に対して、シルデナフィルが動物実験や症例の少ない臨床研究に試されていることを知りました。やはり、世界では同じことを考える人がいるものです。
動物実験では、胎児発育不全マウスモデルにおいて、シルデナフィルで有意に体重が増えた報告、妊娠高血圧症モデルラットでは血圧や蛋白尿が有意に低下し、子供ラットも大きかったなどが報告されています。また、ヒトの胎児発育不全や妊娠高血圧症から採取してきた、子宮の血管は、正常な妊娠よりも収縮しやすいのですが、シルデナフィルが、強い収縮性を正常化したという報告があります。ヒトへの応用は、2009年に、妊娠高血圧腎症にシルデナフィルを投与したところ、妊娠延長がコントロールでは4日であったのが、やはり4日で効果がなかったという残念な結果であり、それ以後は妊娠高血圧症候群には応用されていません。2011年には、早期発症の重症胎児発育不全10例にシルデナフィル治療を行い、従来的に管理した17例と比較した研究が発表されています。シルデナフィルを投与すると腹囲の伸びが有意に大きくなったという結果ですが、大きなインパクトを持つものではありませんでした。しかし、現在、英国、アイルランド、オランダ、オーストラリア、ニュージーランドでSTRIDER研究という、胎児発育不全に対してシルデナフィルを用いる、前向き研究が進んでいることも知りました。(2016年5月には、オーストラリア・ニュージーランドの研究代表者であるKatie Groom先生と意見交換してきました)。
(5)我々の研究の現状-胎児発育不全とタダラフィル
2015年7月に、タダラフィルを胎児発育不全に投与した最初のケースを経験し、その効果に驚きました。妊娠22週における妊婦健診でそれまであった羊水が全く無く、かつ胎児推定体重も-2.6SDの309gでした。三重大学の医療の質倫理検討委員会の承認を受け、患者さんに同意を得た後に、1日20㎎1錠を毎日内服してもらいました。その後、1週間で膀胱に尿がたまりだし、羊水量が増加しました。また、停滞していた推定体重も1週間に約50gづつ、再度増加し始めました。30週ごろから羊水が再度減少しはじめ、胎児心拍数モニタリングで変動一過性徐脈が時々出ることと、32週1000g以上であれば、インタクトサバイバルが充分見込まれることから妊娠32週で帝王切開し、1024gの男児を得ました。現在、全く異常無く発育されています。
この症例に勇気づけられ、医療の質倫理委員会で10例前後と投与例を増やすとともに、安全性を確認する第一相試験を計画しました。これは、タダラフィルを1日に10㎎、20㎎、40㎎と増加させることで、副作用の大きさを調べるものです。2015年11月に、三重大学医学部倫理委員会で承認された後に、臨床研究開発部とも共同し、計12例の症例に応用し、2016年7月に終了する予定です。TADAFER I研究(TADAlafil for Fetus with Early-onset Restriction)と呼びますが、40㎎まで増加させても、投与初めの3日間の軽い頭痛のみで、これも自然と治っていくという軽いもののみでした。妊娠中に副作用が少ない理由は、妊娠自体が一酸化窒素の作用が増加し、全身の血管が拡張している状態であり、タダラフィルによるさらなる血管拡張には慣れの現象が起きているのでは、と考えています。何よりも、胎児発育不全症例をご紹介いただきました、三重県産婦人科医会の先生方に感謝申し上げます。
(6)有望な結果
これまで、上記の医療の質倫理委員会やTADAFER I研究での11例を、妊娠週数、胎児推定体重標準偏差値などをマッチングした従来の治療法14例と比較検討しました。(表1)研究の開始は、従来群28週、タダラフィル群31週とやや、タダラフィル群の方が遅めですが、有意差はありません。開始時の推定体重の標準偏差は両群で差はありません。
幸いなことに、2016年4月には、日本医療研究開発機構(AMED)から「妊娠高血圧症候群と胎児発育不全の克服を目的とした、ホスホジエステラーゼ5阻害剤タダラフィルによる新規予防法と治療法の開発」という研究開発課題名で研究費を獲得しました。現在は、第2・3相試験(TADAFERI II研究)として、多施設共同研究を推し進めているところです。詳細はホームページを建設中で、適宜アップデートいたしますので、ご覧ください。
(7)妊娠高血圧症候群に対するタダラフィル効果
TADAFER I研究を進めていく中で、タダラフィルが妊娠高血圧腎症の病態そのものを改善したと考えられた症例を経験しました。妊娠27週の妊娠高血圧腎症、すなわち妊娠中に起こった高血圧と蛋白尿と、胎児発育不全の症例です。この例は、1日7gもの蛋白尿が出ていたのですが、タダラフィル40㎎/日内服3日後には、1gを切るまでに低下し、血圧も正常化しました。この変化は、母体血中sFlt-1の低下(12,300 pg/mlから7760 pg/ml)と、血中PlGFの増加(48 pg/mlから124 pg/ml)を伴っていました。妊娠高血圧症候群で血圧を下げる薬は存在しますが、蛋白尿がこのように劇的に改善することは初めての経験でした。また、この改善が、妊娠高血圧症候群の病態として注目されている母体血中の血管増殖・新生を妨げる因子のレベルを低下させ、血管発育因子の増加を伴っていたのです。この症例を通して、妊娠高血圧症候群に対しても、上手に使えば、タダラフィルは「夢の薬」になるものと思っています。現在、タダラフィルの妊娠高血圧症候群に対する効果の研究、TADAFEP研究(TADAlafil for
Fetus with Early-onset Preeclampsia)を計画中です。(詳細はホームページをご覧ください)
以上、タダラフィル研究を述べてきましたが、これも三重県産婦人科医会、三重大学産婦人科同門会のご協力を得て、開始できたものです。これまで治療法の無い、胎盤由来の妊娠合併症である胎児発育不全と妊娠高血圧症候群に対する「夢の薬」であり、30年に1度の薬の開発が可能と考えています。なにとぞ、今後とも患者様のご紹介とともに、ご協力よろしくお願いいたします。