平成 23 年 9 月から、佐川典正先生の後任として、三重大学医学部産科婦人科学教室を担当させていただいております。三重産婦人科医会には理事として入会させていただき、9 月
15 日には早速、医会主催で歓迎会を開いていただきありがとうございました。以下に、ご挨拶とお願いを述べさせていただきます。
1.自己紹介
生まれは、兵庫県豊岡市という、日本海に面した盆地で、冬は雪深い地方です。高校卒
業男子の 90%以上が京阪神などの都会に出ていくという典型的な過疎地ですが、私も宮崎
医科大学に入学するために宮崎に移りました。昭和 58 年に卒業した後、大阪大学医学部付
属病院産婦人科で研修を始め、引き続き市立貝塚病院、大阪府立母子保健総合医療センタ
ーと研修を行い、昭和 63 年に母校宮崎医科大学の産科婦人科学教室に助手として採用して
いただきました。以後、17 年間に渡って同教室にお世話になりましたが、とりわけ平成 3
年からは、池ノ上克教授のもとで、周産期医学を専門に臨床・研究を学びました。「周産期
医療は、大学のみではなく地域のレベル向上を目標とせよ」など、様々なノウハウを教えていただきました。宮崎県は平成 11 年に、全国一周産期死亡率の良い県となりますが、そ
の過程のひと役を担えた経験は大きな財産だと思っております。アメリカ留学の恩師であ
った村田雄二、大阪大学教授のお誘いを受け、平成 17 年からは国立循環器病研究センター
の周産期・婦人科部の部長として、臨床・研究・教育を行わせていただきました。国循における 6 年間は、診療部門の責任者として多くの経験を積むことができました。特に、平
成 18 年 8 月、奈良大淀病院からの脳出血妊婦の母体搬送を受けたことは、大きな出来事で
した。ちょうど、厚生労働省研究で妊産婦死亡に関する研究の主任であったこともあり、「妊
娠と脳血管障害」に関する全国調査を行いました。全国で年間に約 120 件の合併例が発症
していることがわかりましたが、このデータはその後、東京墨東病院の脳出血妊婦の際に
役に立ちました。過去 6 年間は、産婦人科医逮捕や「お産難民」といった産婦人科医にとって冬の時代ですが、幸い国循では、医局員数も診療成績も右肩上がりでした。恩師はじ
め、巡り合った方々やイベントを振り返り、なんとラッキーな経緯であったと感じざるを
得ません。
2.最重要課題は三重県で働く産婦人科医の増加
最重要にして、最優先に解決しなければならない課題は、三重県で勤務する産婦人科医
を増やすことです。図1は、三重県産婦人科医会会員の年齢群別の数ですが、60~65 歳を
ピークに若くなる程、次第に減少しております。40 歳未満は全体のわずか 15%にしかなり
ません。最も多い年代である 55~64 歳、53 人のほとんどが、現役で大車輪の活躍をされ
ておられますが、10 年後に 65~75 歳となられた場合に、どういった状況が予想されるで
しょうか?図2は、三重県志摩町における海女さんの年齢分布ですが、70~79 歳がピークで、やはり若くなる程、減少しています。海女さんも、鳥羽の真珠島のアトラクションな
どには重要な役割をしていますが、将来的にかつての花形職業として復活することはない
と思います。同様の年齢分布を持つ職業は、日本の農業従事者や日本共産党員があります
(ただし、後者は確定的なデータはありません)。いずれも、将来的な存続が危ぶまれてい
ます。すなわち、三重県産婦人科医療は将来的な存続に関して、危機的状態であることを、
まず真剣に認識しなければならないと思います。
三重県の出産数から、必要な産婦人科医を推定してみます。年間 1 万 5000 分娩として、
全国レベルの 100~110 分娩に 1 人の産婦人科医が必要であり、65 歳未満がすべて分娩に
あたると仮定して計算してみます。結果は、136~150 人の産婦人科医が必要で、現在の 55
歳未満の医師数は 82 ですので、この先 10 年間で 54~68 人の増員を行わなければならない
ことになります。退職や県外流出が 2 割でるとして、年間 6~8 人は 55 歳未満の産婦人科
医が増えなければなりません。
これから、これまでのペースの倍以上の入局や新規参入を努力しなければならないこと
がわかります。図 3 のように、我々は、様々な問題を持っていますが、三重県で働く産婦
人科医数を増やすことは、喫緊にして最重要課題です。
3.大学、関連病院、医会、行政の一丸となったリクルート
三重県の産婦人科医を増やすためには、大学、関連・連携病院、産婦人科医会および行
政の 4 身一体となったリクルートが必要だと思います。
まず、県内唯一の医師養成機関である三重大学医学部における学生、研修医の教育に関
して、教室員一丸となって産婦人科学の魅力をアピールすることが最も大事です。これに
関しては、大学スタッフや研修医は、人間的にも魅力があり、専門的にもしっかりしてお
り、赴任以来、大変たのもしく思っております。また、学生勧誘に関して、同門会の先生
方によって、物心ともに支えていただいており、本当に感謝いたしております。平成 24 年
度からは、地域枠や医学部増員で 120 人の学年が臨床実習に入ってきますので、より一層、
熱意を持って教育に当たっていきたいと考えております。
次に、若い医師達は、専門科を決める際に、どんなことが学べるか、先輩医師たちは充
実した研修をおくれているかという、本質をとらえた観点から現実的に考えていることで
す。これは、私など、いわゆる“なりゆきまかせ”で“おめでたい科だから”などと、考
えて入局したのとは隔世の感があります。ただ時代を経ても変わらないのは、直近の先輩
医師が、楽しそうに研修を行っている姿は、その科に進もうという何物にも代えられない
説得力を持ちます。学生や卒後研修は大学以外の病院において行っていただいており、こ
の研修病院において、教育の充実とともに積極的なリクルートをお願いしたいと思います。産婦人科医療は、人の絆の医療であり、生活に密着した医療ですので、将来的に、学生か
らの教育を公的病院のみでなく、より絆の強い個人病院や診療所においてお願いしたいと
考えております。その際は、ぜひよろしくお願いいたします。
また、県外で研修や働いている産婦人科医で、三重県や三重大学に関連のある方はぜひ、
三重にカムバックしていただきたいです。このためにはご子息はもとより、お知り合いの方がおられましたら、ぜひご一報いただけたらと存じます。折をみて、勧誘させていただ
きたいと思っております。三重県の危機的状態から抜け出すためですので、ぜひご協力を
お願いいたします。
さらに、三重県における行政的なご援助も必要です。これには、三重県医師確保プロジ
ェクト「おいないネット三重」による、三重県研修医研修資金貸与制度があり、4 年を上限
にして年に 3,300,000 円の貸与が受けられ、返還免除規定もゆるく、全国的に見ても極めて
優遇策がとられていることは事実です。
以上のように、危機的状態を認識していただき、各方面からの一体となったリクルート
が何よりも大切であります。
4.三重県の強さは一枚岩
三重県産婦人科医会の最大の強みは、一致団結力、いわゆる一枚岩(monolithic
solidarity)だと感じております。その理由は、所属されておられる多くの先生方が三重大
学産科婦人科教室の出身であること、三重県の病院や診療所のほとんどが三重大学と強く
関連をもつ病院であることなどが挙げられましょう。しかし、三重県人の県民性も大きく
関与しているのではないでしょうか。Google で三重県の県民性を調べてみますと、「強調性」、
「連帯性」、「争いごとを好まない」、「中庸」、「温和」などのキーワードがでてきます。私
は、これまで所属してきた大阪産婦人科医会や宮崎産婦人科医会と比較してみても、また
他の医会を見聞きしても、三重県産婦人科医会が、全国一団結した産婦人科医会であると
思っております。三重大学産科婦人科学教室の発展も大事ですが、それ以上に、三重県全
体の産婦人科医療の発展をめざしてがんばりますので、ご指導、ご支援よろしくお願いいたします。