2012/03/01

三重県における集団ベース研究(population‐based study)

  平成23年9月から、三重大学医学部産科婦人科学教室を担当させていただいております。就任の抱負として、私の在任期間中に最も達成したいと考えております目標を述べさせていただきます。
  それは、三重県における集団ベース研究(population based study)が行えるインフラを確立することです。三重大学における研究も重要ですが、それ以上に三重県という全体の産婦人科医療に対する充実に力を注ぎたいと思っております。また、臨床研究として、三重県というフィールドに関わる産婦人科医療の研究を皆で行ってゆきたいと考えております。

1.臨床データベースは正確性とフィードバック時間が重要
  まず、わが国においては、本当に臨床的に役立つデータベースが少ない現状があります。本当に役立つとは、データを基にして、臨床的・行政的に予防や改善対策を立てていく上で有用なものであり、それが短期間でフィードバックできればより効果があります。すなわち、(正確性×時間)が要求されます。たとえば、周産期医療の中で、脳性麻痺発生率は、沖縄県や鳥取県などの地域で調査されています。しかし、県全体の医療の良し悪しと関連づけられたものではありません。この沖縄県をはじめとした脳性麻痺発症率は、平成21年から開始された産科医療保障制度の準備段階で、基礎データとなりました。すなわち、年間に全国で800例の脳性麻痺が発症すると推定されたのです。発症1例あたり3000万円が支給されるため、240億円が用意される必要があり、必要経費も入れて約300億円を集めなければならないと計算されました。このために、各分娩機関からは、前年の施設分娩数に3万円をかけた保険金を供出することになったのです。しかし、実際に挙がってきた数は年間約200例であり、当初見込まれた額と大きく解離してしまいました。このエピソードは、いかに臨床的に正確なデータが必要であるかを示すものだと思います。
  一方、がん登録では、癌死亡数は比較的正確に把握できますが、癌罹患数はなかなか直ぐに把握することが困難です。死亡が死亡統計から比較的簡単に把握できるのに対して、疾患の発症は、現場の医師の登録など、手間ひまがかかり、短時間でできないことは容易に理解できます。癌の死亡率と罹患率は約4年間のギャップがあるのです。しかし、がん治療の進歩の速さを勘案すると、短期的フィードバックを行うのに4年間は、長すぎる感があります。できるだけ、短期に治療方針などが見直せるしくみの重要性しめす一例だと思います。

2.妊産婦死亡の登録と評価と予防策
  妊産婦死亡は、妊娠中または、産後1年以内の死亡と定義されますが、実際より過小に登録されていることが問題となっていました。私は、主任研究者として、過去6年間に渡って厚生労働省の科学研究費を頂き、この妊産婦死亡問題を研究しています。当初から臨床的に本当に役立つ正確なデータベースを作るのが目標でありました。様々な難問はありましたが平成21年から、日本産婦人科医会の多大な協力を得て、日本で起こった妊産婦死亡の登録と、評価を行い、防止策を提言できるシステムをやっと作ることができました。平成21年には51例の症例が登録されましたが、この数値は国の公式統計値の49例よりも多く、我々のデータ収集の方がより正確であることがわかりました。また、妊産婦死亡の発生要因などの解析が可能であり、この分析から、時間をおかずに有効な予防策を提言することが可能なインフラ作りに成功しております。

3.集団ベース研究を行う上での三重県の優位性
  三重県は、その人口規模と多様性において、わが国を代表しています。人口約170万人、出生数は約1万6000であり、我が国の約1.5%です。サンプリング数として、適切であると思います。これまで私は、全国的な周産期医療についてのアンケート調査を、数件行ってきました。この経験から気づいたことは、約1~2%のデータが集まった時点で、ほぼ傾向がわかることです。また、三重県は、北の工業地帯から、南の過疎地域まで、日本の縮図とも考えられます。人口集中に関する問題、過疎の医療の問題など、わが国の対策をたてるために、多様な特性を持った地域医療が展開されています。
  さらに、三重県の公的病院と私的な医療施設における、ほとんどの医師が三重大学産婦人科教室の出身か、三重大学と関連の深い先生がほとんどであります。この点でも、三重県全体での集団データ研究を行うのに有利であると考えております。

4.具体的な計画
  三重県周産期症例検討会:三重県における5つの周産期センターの現場で診療にあたっておられる産科側と新生児側の医師、約10名余りが、診療した死産、新生児死亡、脳障害が予測される症例を登録し、検討する会を2012年に立ち上げる予定です。私がかつて、宮崎大学に勤務していたころに、恩師である池ノ上克産科婦人科学教授が「宮崎県周産期症例検討会」をたちあげられ、私は事務局を担当させていただきました。宮崎県は、宮崎大学出身のみでなく、九州大学、熊本大学および鹿児島大学医局の出身の先生方が、それぞれの関連病院で診療していた状況がありました。そこで、平成10年から、県下6つの周産期センターの産科側と新生児側の医師約12人が一同に会して、年2回、症例検討を行いました。その結果、それぞれの参加者の用語がスタンダード化され、コミュニケーションが豊富になりました。それ以後の電話相談などを頻繁に行うようになり、ヒューマンネットワークが広がりました。平成11年に、宮崎県は全国一周産期死亡率の良い県となり、それ以後も上位に度々名前を連ねており、周産期医療先進県として全国的に有名です。三重県では、先ほど述べた理由で、医師の顔や性格などよくわかっているわけで、宮崎県よりもこの点の事業が行いやすいと考えております。幸い、三重県からもこの研究に補助をいただいており、これからの成果を期待しています。
  婦人科癌登録:わが国で正確な癌統計が県単位で取られているところはほとんどありません。教室の田畑務准教授のもとで、三重県における、婦人科癌に関する臨床データを集め、解析するプロジェクトを開始しました。子宮頸癌、子宮体癌、卵巣癌の3つの癌種が対象で、リアルタイムに予後調査などを行ってまいります。例えば、子宮頸癌は近年若年化の傾向があり、そのため、国から人パピローマウイルス(HPV)ワクチンの公費助成が始まっています。このワクチンの地区ごとの接種率は容易に判明するため、HPVワクチンによる子宮頸癌予防効果も判定することが可能となります。すなわち、HPVワクチンの対費用効果を実測することが可能となり、有用な臨床観察データになる可能性があります。また、県内の関連病院にて婦人科癌治療の均てん化をはかり、統一した治療法による多数の症例のデータベースを作っていきたいと考えております。

5.プロジェクトを成功するためには
  これらの集団ベース研究を成功させるために必要なことは、発表代表者を一つの施設が独占しないことだと思います。各施設からのデータベースを基にした研究ですので、当然なことなのですが、これまで多くの研究が半ばにして頓挫したのが、発表者の問題です。この度、日本産科婦人科学会の専攻医指導施設指定基準として、発表論文数が規定されるようになりました。三重県として集団ベース研究を行い、全体のデータを分担して各施設が発表することは、この論文数施設基準を充足することにも繋がるものと考えております。ぜひ、ご協力よろしくお願いいたします。