2014/05/02

池ノ上先生の考え方と言葉

  池ノ上先生は私にとりましても、人生の恩師であります。平成 3 年 1 月の教授赴任時、 私は病棟医長や産科医療担当であったこともあり、直接指導を受け、また宮崎医科大学周 産期母子医療センターをはじめ、多くの事業の立ち上げを、近くで伴に体験させていただ きました。平成 17 年に宮崎を離れ、国立循環器病センターに赴任し、さらに平成 23 年か らは三重大学産科婦人科に移りましたが、池ノ上先生が宮崎で初期にどのように為された かを直に知っている私には、ある程度の自信をもって物事に当たることができました。国 循のサマーセミナーは、ひむかセミナー、朝のカンファレンス、テレビカンファレンスな ども池ノ上先生が行われたことを、忠実に模倣してきました。
  また、先生の言葉、セリフなど、メモをとりながら、自分なりに咀嚼し、現在も指導者 として使わせていただいています。以下に、その代表的な 10 の言葉を述べたいと思います。

① 「周産期は草野球、ヒーローはいらない」
  投手や野手が専属のプロ野球とちがって、集 まった人の中で投手などを決めていく草野球に、周産期医療を例えられました。宮崎大 学の入局者は、産科、新生児、婦人科の 3 つを、かなりの年月に渡ってローテーション します。したがって、だれでも新生児蘇生はでき、基礎的な手術はできます。すべての ポジションが一応守れる医師ができ、すべての緊急時に対応できます。
② 「主治医の体力の切れ目が、患者の生命の切れ目ではいけない」
  主治医は患者家族など の対外的な説明には当たるものの、患者のすべての治療を受け持つことは不可能であり、 チーム医療体制を一般化されました。
③ 「周産期医療チームと戦闘チーム」
  現場で治療にあたるときのチーム医療の在り方を述 べられた言葉で、コマンダーを決めて対応するが、コマンダーが亡くなった場合、次の コマンダーが直ちに代わりにリーダーシップをとれるようなチームを戦闘チームに例 えられました。
④ 「搬送依頼は絶対断らない、搬送結果は直ちに搬送元に報告」
  一次施設の信頼を得るた めには、これに尽きることを知らされました。
⑤ 「最大瞬間風速をあげる人員集約」
  周産期医療は、治療の局面によって 10 人以上の多 数の人員を要します。当該施設の常勤医に加え、応援の医師が駆けつけ治療を安全に行 うことの重要性を強調した言葉です。
⑥ 「行政は後からついてくる」
  あれが無いとできない、これが無いとできないなどと言わず、現在、利用できるところから始めることが、立ち上げの最大のコツだと強調されま した。行政や病院に施設や物を要求する前に、結果を出すことの重要性です。
⑦ 「君たちはこんな難しい医療ができるようになったのだ」
  治療した新生児が亡くなった 時に言われた言葉で、ガッカリしている我々を奮い立たせていただきました。そのポジ ティブシンキングに皆がついていきました。
⑧ 「周産期は、やるか、やらないか迷ったら、やる」
  これは、何の根拠もないのですが、 クリアで、私も迷った時には、この言葉を思い出しております。 ⑨ 「朝日を拝む人あれど、夕日を拝む人はなし(串木野さのさ節)」
  人が逆境になったと きでも、常に同じように接される姿は、常に軸をぶらさない先生らしく、よくこのセリ フを言っておられました。
⑩ 「中間データをもってきなさい」
  論文や発表でも、きれいなグラフや整った図を持って いくと、このように言われました。その過程が大事であり、このことは、診療の報告で も、結果がでてからではなく、治療行為を行う前の報告の重要性です。例えば、手術が うまくいって報告するよりも、このような手術を行うという事前の報告を心がけるよう に教育されました。

   以上ですが、池ノ上先生から学んだ数々の事柄、それを象徴する言葉は、まだまだあり、 今後も、さらに多くメモができるものと思います。これからも健康に気を付けられて、ご 指導をお願いいたします。

2014/03/18

産婦人科女性医師フレンドリーな三重県を目指して

  三重大学医学部産科婦人科学教室同門会の先生方には、常日頃から、患者さまのご紹介や、医局のご支援など、大変お世話になっており、感謝申し上げます。来年には、我々の教室の開講70周年となり、祈念式典などを計画いたしており、ご出席いただきますよう、お願いいたします。さて今回は、三重県における産婦人科の女性医師に関する話題を述べたいと思います。

1.女性産婦人科医師の増加
  図1は、平成22年(2010年)に国がまとめました産婦人科医の年齢階級別医師数の男女比です。30歳代前半の62.7%から、30歳代後半46.7%、40歳代前半32.6%、40歳代後半22.5%と低下しています。最近の新規産婦人科医の60%~70%が女性医師です。
  産婦人科は、女性医師が活き活きと働くことができ、キャリアを積める診療科であるため、当然の傾向でしょう。産婦人科女性医師としてのメリットは、月経異常、思春期の異常、更年期や避妊など、患者さんが男性医師には話し難い相談を受けやすいことがあります。三重県においても、開業されている女性医師は皆、たくさん患者さんが集まっていますし、大学でも女性医師の外来は朝から夕方までビッチシ、予約がいっぱいです。
  今後、産婦人科診療にとって、女性医師が増加してくることは、火を見るよりも明らかです。将来、産婦人科全体の3分の2は女性となることでしょう。これは、産婦人科医療全体の構造上の大きな変化であり、避けて通れない問題であり、われわれも女性医師のキャリア支援について、どう取り組んでいくかを皆で考えないといけないでしょう。
図1.全国の年代別産婦人科医師数
図2 三重県の年代別産婦人科医師数

2.三重県は女性の県です
  図2は、三重県の産婦人科医で同様なグラフを書いたものです(平成25 年現在)。若い世代の産婦人科医が少ないことがまず目立ちますが、40 代後半でも女性医師はほぼ50%であり、全国に比べて多いことがわかります。三重県の40 代女性が頑張っているのです。
  三重県の女性は、まじめで働き者が多い傾向にあると思います。私が長年住んでいました宮崎県の女性も働き者ですが、こちらは男性があまり働かないために必然的に働かなければならなくなったようです。一方、三重県では自分自身のキャリアを積むために働いている女性が多いように思います。それを裏付けるデータとして、夫への小遣いの金額があります。三重県は大分県とともにトップで、ひと月平均17 万円らしいです。それに比べて、宮崎県は鳥取県、島根県とともに最下位近くでひと月平均10 万円です。夫の働きが悪いと、小遣いも少なくなるのではないでしょうか?
  三重県にキャリア志向の女性が多いことは、多くの女性有名人がでていることから伺えます。レスリングの吉田沙保里、マラソンの野口みずき、ビーチバレーの浅尾美和、バドミントンの小椋久美子、アナウンサーの楠田枝里子など、皆キャリアを開花させておられます。古くは、伊勢神宮の天照大神。昨年は式年遷宮がありましたが、これを始められたのが持統天皇で女性であり、この県の女性の活躍は伝統でしょうか。
  キャリアを持つことは、独立心や自信を持つことに繋がります。最近行われた、補正下着会社ダイアナ社の調査によれば、20~60 歳の三重県女性は全国一プロポーションが良いという結果がでました。これはプロポーションインデックスというのがあって、[ウエスト+(左太もも周囲+右太もも周囲‐ヒップ-(トップバスト-アンダーバスト)]÷身長で計算され、低いほどプロポーションが良い値らしいです。
20万人以上の体型データから、三重県女性は、37.7で1位でした。2位は高知38.5、で最下位は徳島県で43.2でした。自信の表れでしょうか、三重県女性は「夫の浮気を許せない」ナンバー1であるとのことです。ケンミンまるごと大調査という3万人以上のアンケート調査によるものですが、キャリア志向で独立心、自信があり、プライドがあるという女性像が見えてきます。
  結論として、三重県女性は、産婦人科医としてのキャリアを積むための背景が十分であるということです。

 3.女性が産婦人科医を続けていく困難さと対策
  医師以外の職種でもそうですが、結婚、出産、育児は女性がキャリアを中断ないし縮小しなければならない原因となっています。産婦人科医は、夜間など時間外が多い、緊急度が高い疾患があるなど、他科と比べても、ハードな勤務であることは否めません。最近の、産婦人科医師不足の折、当直の回数などが多い、などハードさは一段と高くなり、さらに離職が多くなるという「悪循環」に陥り、女性医師にとっても、産婦人科は敬遠されることも多くみられます。
  日本産科婦人科学会の調査でも、女性医師が離職、休職する率は多いことが報告されています。これに対して、以下のような、待遇改善の施策が挙げられています。①当直勤務の緩和、②当直翌日の勤務の緩和、③分娩手当、待機手当の増額、④妊娠中・育児中の勤務の緩和、⑤フレックスや時短勤務の導入、⑥チーム医療の導入による交代性、⑦利用可能な院内保育所の設置などです。
  確かに、これらのハード面は極めて重要であり、三重大学でも幾つかを採用し、キャリアを続けるために有効であると実感しています。

4.三重県、三重大学における産婦人科女性医師フレンドリーな対策
  しかし、これらハード面のみでなく、ソフト面の充実も重要であり、産婦人科女性医師フレンドリー三重県、三重大学を目指した対策を述べていきたいと思います。結論から申しますと、いま「正解」を持ち合わせていません。ただ、原則、勤務医は子供ができたら、比較的人的余裕のある大学に集まるか、三重県の中で「ギネの女医たちネットワーク」を作って、悩みの共有と団結した主張をして頂きたいと思っています。
  昨年から、大学では神元有紀講師に人事担当の医局長になってもらいました。彼女は、2人のお子さんを育てながら、当直、外来、卒前卒後教育、研究を立派にこなしてくれています。日産婦の最優秀論文賞も受賞しました。まさに、ロールモデルであり、女性の多くなった医局の人事担当には相応しいと考えたからです。
  また、これまでの女性医師に関する議論の中で、院内保育や分娩手当などのハード面は頻繁に述べられますが、女性医師が何を行うかというソフト面はあまり語られません。もちろん、専門性に関しては、それぞれの医師の興味やモチベーションが重要ですが、育児をしながらも続けられやすいものと続けにくいものは確かにあると思います。少し、この点で考えていることを述べさせていただきます。

5.レイバリスト
  レイバリスト(laborist)とは、米国で最近新しく活用されている産婦人科医のあり方です。米国では最近90%の産婦人科医は女性であり、中には子供を持つ女性も多くいます。そのため、女性のクオリティー・オブ・ライフの改善のため、分娩だけ行う職業すなわちレイバリストという就業形態ができているのです。看護師さんのように交代性で通常の医師よりも少ない時間となるため、多くの時間が医業以外のことに使えます。最近では、レイバリストを採用した病院において、帝王切開率の減少や出産予後の改善などが報告されており、米国産婦人科学会も推奨しています。わが国も米国の10年、後を追っているのであれば、参考にしなければならないと考え、実際のレイバリストをめぐる実情を研究してきたもらうため、北野裕子先生に、全米でもトップクラスのカルフォルニア大学サンフランシスコ大学に10日間程、視察に行ってもらいました。 詳しくは、北野先生からの報告を今後参考にしてください。

6.腹腔鏡手術
  腹腔鏡手術は近年、産婦人科領域でも全国的に症例数が多くなってきており、特殊な手術というよりは、一般的な産婦人科手術になってきました。もはや、子宮外妊娠や良性卵巣腫瘍では、開腹よりも腹腔鏡手術の方が第一選択であることが常識です。まさに、手術革命です。ただし、開腹術に比べて、基礎トレーニング、すなわち運針や縫合結紮などに要する時間が長くなります。また、特殊な視野と鉗子の動きに慣れる必要があり、ラーニングカーブも、開腹術に比べてゆっくりです。一般的に、実際の症例に当たる前に、練習ボックスを使って、日夜トレーニングを積まなければなりません。この練習は、自宅でもできるため、例えば産休中とか育休中にも出来得ると思います。女性特有の繊細さをもってすれば、腹腔鏡手術は女性医師に向いているのではないでしょうか?

  以上、産婦人科女性医師に関する私見を述べてきましたが、皆さんでアイデアを出し合っていただき、良い方策を考え、トライアル・アンド・エラーを繰り返しながら、一人でも充実した産婦人科のキャリアが積めるよう頑張ってもらいたいと思います。

2014/03/03

三重県における産婦人科学の研究について

  三重大学医学部産科婦人科学教室に赴任いたしまして、早 2 年余りが経ちました。三重 県産婦人科医会の先生方には、会長の森川文博先生をはじめ、大変お世話になっておりま す。学会と医会は車の両輪といいますが、三重県は「一輪車」であるごとく、全国一、ま とまりの良い医会・学会であり、ありがたいことだと常々感謝しております。
  平成 25 年 10 月から、三重大学医学部付属病院は、竹田寛先生から伊藤正明先生に病院 長が交代されました。私ごとですが、伊藤先生からご指名を受け、診療担当副病院長とし て、現在、病院執行業務に携わっております。業務の主なものは、平成 27 年 7 月の病院機 能評価受診に向けての準備、看護師確保対策、病院職員教育などです。より多忙となりま したが、三重大学出身でない私として、三重大学病院内で働く方と仕組みを覚えるために 良い機会であり、楽しく仕事をさせていただいております。
  三重県に新規参入してくれる産婦人科医師も、おかげさまで多く、当初の目標を達成で きていますが、まだまだ不足しているのが現状です。入局してくれる医局員は、妊娠管理、 分娩、手術など、産婦人科医としての基礎的な専門研修を毎日行っており、日に日に、目 に見えて上達がわかり、嬉しく感じております。それぞれ、充実したキャリアが積めるよ うに、指導スタッフも努力してくれています。
  赴任してから、まず臨床の充実をと考え、研究のことはあまり彼らに強調しなかったの ですが、3 年目となりますので、私自身が研究について考えていることを、本誌を借りて述 べさせていただきます。

1. 研究は臨床の疑問や願望を解決することを目指すもの
  産婦人科学という学問は、やはり臨床医学、応用医学ですので、常に患者さんが良くなったり、疾患が予防できたりすることが大切です。臨床を一生懸命やっていると、日々、「このやり方でいいのか、別のやり方があるのではないか?」とか、たくさんの疑問が湧き起 こってきます。また、患者さんが常に良くなるわけではなく、現在のベストの医療を尽く しても、直せない方がおられます。医師としては、無力感といいますか、「悔しい思い」を し、良くしたいという願望がでてきます。この臨床の疑問と願望(clinical questions and wishes)が研究をめざす動機となるべきです。そして、研究で得た結果、(結果が得られる ことばかりでは無いのですが)を、今度は臨床で試してみるという段階があります。そし て、また臨床から研究です。これを、英語では”Bench to Bedside, Bedside to Bench”と言うらしいです。この臨床―研究サイクルが、順調に回りだすと、臨床も研究もやりがいのある、「面白いもの」になります。産婦人科医になって良かったと思うようになってきます。
図1

  通常、自分の施設やグループだけで、すべての臨床―研究サイクルは回せません。した がって、先端を走っているグループに入れてもらうか、共同で行うことになります。この ため、常日頃から、アンテナを高くして、この当たりの情報を得なければなりません。そ の時に重要なことは、ギブ・アンド・テイクの状態にならなければならず、ギブ、ギブと いっている医師や研究者には、なかなか良い協力体制が作れません。したがって、「自分の、あるいは、自分の施設が、何をテイクしてもらうか」を考えた戦略を常に考えなければな らないと思います。

2.自分の興味か運命か?
   それでは、どのように自分の得意種目、自分の専門性、自分のライフワークを作ってい くのでしょうか。私の場合、専門は周産期学で、胎児・新生児の脳障害と胎児心拍数モニ タリングがライフワークです。しかし、医師になって 6 年目に大阪から宮崎に移ったとき には、宮崎にはまだ馴染みのなかった膣式手術で一旗揚げようとして、砕石位のセットを 自費購入しました。手術で成功しようとしたのです。しかし、宮崎大学で、池ノ上克教授 に出会ってから、周産期学にのめりこみ、池ノ上先生ご自身のテーマをいただいて、研究 させてもらいました。このように、当初の自分の興味・計画と、運命といいますか大きな 人生の流れ、人との巡り会いの、どちらに従うかは、本当に悩むところです。ただ、自分 自身は極めてルーズな性格ですので、当初の自分の興味を貫くために人生の流れに逆らっ ても良い事が無いような気がしています。

3.三重大学、三重県における研究のめざすもの
  結論から申しますと、三重大学産婦人科のみで研究をやっていても、強い競争力は築け ないと思います。県全体の集団ベース研究(population-based study)で、われわれは全国3 トップになれる可能性があると思っています。なぜならば、三重県は、医学的な疫学研究 に非常に適した県だからです。第一の理由は、その人口規模がわが国の 1.5%であり、サン プリング数として適切です。これまで、私は全国規模のアンケート調査を数件おこなって きましたが、約 1~2%のデータが集まったところで、ほぼ全体の傾向がわかることが多か ったです。したがって、周産期では約 1 万 5000 という三重県の分娩数は、適切なサンプリ ング数といえます。第二に、三重県は、北の工業地帯から、南の過疎地帯まで、多様な社会的背景をもっており、日本の縮図ともいえる県です。旧律令制度で、伊勢、伊賀、志摩、 紀伊と 4 つ持つ県は、兵庫県の 5 つに次いで 2 位であることも、それを物語ります。多様 な特性を持った地域医療が展開されており、わが国に対する提言が行い易いと思います。 第三の理由は、三重県の公的病院と私的な医療施設における、ほとんどの医師が三重大学 産婦人科教室の出身か、三重大学と関連の深い先生がほとんどだからです。以前、私は研 究グループの一員として宮崎県での集団ベース研究を立ち上げましたが、宮崎県の際、産 婦人科医療は、九州大学、熊本大学、鹿児島大学の先生方の派閥があり、この種の研究を 遂行するにはとても難しかったです。この点でも、三重県は県全体での集団データ研究を 行うのに適していると思います。

4.産科医療補償制度、見直しのための脳性麻痺児発生に関する医学的調査
  産科医療補償制度は、重症脳性麻痺児とその家族の経済的負担の軽減、原因分析と再発 防止、紛争の防止・早期解決を 3 つの柱に、2009 年(平成 21 年)1 月に創設されました。 当初、沖縄県と姫路市における調査によって、補償対象は年間 500~800 例と推定され、補 償金額 3000 万円と、産婦人科施設が払う保険料が分娩 1 件、3 万円と定められました。し かし、実際の申請は年間二百数十例であり、制度設定の良否が問題となりました。発足 5 年後の見直しのため、再度脳性麻痺児の発生状況を調査することになり、沖縄県、栃木県 とともに三重県が指名されました。これは、赴任以来考えていた三重県での集団ベース研 究のインフラを作る上でまたとない機会であり、教室の神元有紀君を事務局として行いま した。これには、三重県立草の実リハビリテーションセンター所長の二井英二先生をはじ め、三重県周産期症例検討会、そして三重県産婦人科医会の先生方に大変お世話になりま した。
   結果は、現行の補償制度の認定可能症例は、年間、三重県で 5.2 例、全国で 496 例出生すると推定されました。また、分娩時のイベントで発症した例は、三重県で 2.8 例、全国で 267 例というものでした。さらに、産科医療補償性度が発足した、平成 21 年には三重県か ら 2 例申請されていますが、少なくとも他に 2 例は申請できることがわかりました。した がって、実施の申請が二百数十件という以外に、少なくともその倍は申請漏れがあるので は、という結論です。このことを受けて、本部は、身障者療養施設をはじめ全国的な登録 促進運動を始めています。
   脳性麻痺は全国で年間、約 2000 人発症すると推定されますが、分娩時のイベントが約4 250 例であり、全脳性麻痺の 12%を占めるに過ぎません。(図2)この数値は、海外の 7% ~20%であるというデータとも一致します。脳性麻痺のほとんどが、産婦人科医の責任で あるという、社会的通念は間違っており、変えなければなりません。
  本調査を受け持って、三重県全体のデータによって、わが国の医療を変えることが可能 であることを実感しました。

図2

5.先天性サイトメガロウイルス症のスクリーニング法に関する研究
  サイトメガロウイルス(CMV)は胎児が感染すると、その約 10%に重度障害、残りの 90%にも遅発性の難聴が起こる恐れがあるといわれています。宮崎県でわれわれの行った 脳障害児の調査では、全体の約 4%が、先天性CMV症でした。胎児感染は、約 0.3%です ので、三重県では約 45 人の先天性CMV児が生まれ、4~5 人が重度障害で出生し、40 人 程度が生後のフォローアップが必要であると推定されます。三重県は小児科を中心に、伝 統的にワクチン研究が有名であり、また熱心な耳鼻科医もおられます。したがって、まず 集団ベース研究を普及するには、この先天性CMV症のスクリーニング法に関する研究が 適していると思っておりました。幸い、大学院研究テーマとして鳥谷部邦明君が取り組ん でくれることになり、森川会長に医会事業としても認めていただきました。進捗状況を毎 月の三重県産婦人科医会定例理事会で発表しています。最も有用で効率の良いスクリーニ5 ング法を見出すために、三重県のデータが将来使われるようになるものと期待しています。 継時的にご報告いたしますので、先生方の、ご協力をお願いいたします。(鳥谷部先生報告 を参照してください。)

6.テレビカンファレンス
  その他にも、三重県婦人科癌登録事業、三重県周産期症例検討会、双胎に関する研究な どが進行しております。また、これまで三重大学伝統の糖尿病と妊娠に関する研究は持続 しなければなりません。
   これらの集団ベース研究を成功させるために必要なことは、発表代表者を一つの施設が 独占しないことだと思います。これまで多くの研究が半ばにして頓挫したのが、この発表者の問題です。この度、日本産科婦人科学会の専攻医指導施設指定基準として、発表論文 数が規定されるようになりました。これは、所属施設としての発表ということで、どうし ても症例報告や数例の小規模研究になりがちです。集団ベース研究は、自施設データも含 まれているわけですし、より価値のある研究と日産婦学会も認めていく方針ですので、各 研修施設の先生方は、論文数の確保のため、三重県全体で取り組んで頂きたいとお願いし ます。
  集団ベース研究のみでなく様々なことで、各施設の団結、協力が最も大切です。平成 25 年から三重大学、三重中央医療センター、市立四日市病院、三重県立総合医療センターお よび伊勢赤十字病院の 5 つの周産期センターをもつ病院の間で、テレビカンファレンスを 行っております。毎週木曜日午前 8 時から約 30 分間、2 施設から症例発表をしていただき、 より良い診療を目指すカンファレンスです。予算の都合で、毎回 4 施設しか参加できない 現状ですが、お互いの声と顔が毎週見ることができる効果は絶大だと感じております。

   以上、三重県における研究について私の考えを述べさせていただきました。臨床-研究 サイクルを回せる医学研究者が一人でも多く育つために、医会の先生方のこれまで通りのご支援をお願いいたします。

2014/02/26

ゴルフというスポーツも「負けないこと」が大事

  先日、久富章嗣氏の「月いちゴルファーが、あっという間に、80台で上がれる法」という本を読みました。常に80台で上がるようになるには、「無謀なチャレンジャー」から脱却することが大事という本です。常に、2オン、2パットのパーゴルフを狙わずに、3オン、2パット、ないしは、2オン、3パットのボギーゴルフを目指せば、トリプルやダブルパーなどは無くなり、パーも転がり込んでくるから、80台で上がれるようになるとの内容です。
 これも、「勝つこと」よりも、「負けないこと」を優先することの大事さを言ったものだと思います。

「勝つこと」と、「負けないこと」

  「勝つこと」と「負けないこと」とは、一見似ていますが、物事に向き合う姿勢や態度は大きく違います。
   私の専門とする医療は、周産期医療といって、妊婦、胎児、乳幼児を対象に、妊娠、分娩、分娩後の母親と子供を安全に管理していく医療です。他の医療との大きな違いは、死産や母体危機などの異常がでてくる危険性をはらみながら、比較的健康で正常な経過をとる方を患者さんとしていることです。したがって、異常が起こる可能性を予見し、起こった異常を早期に発見、そして、より良い方向に母児を導くことが主眼となり、また一旦起こった異常に時間をおかずに対処する訓練が必要となります。私は、この周産期医療を30年間行っています。この経験から、抽象的な言い方ですが、新たな治療策に打って出るなどの「勝つこと」よりも、現状を耐えて「負けないこと」の方が、上手く行くことが多いように感じています。
  特に、20年以上新生児集中治療室(NICU)に勤めてきましたが、「この小さな赤ちゃんを明日まで生かすには何をしたらいいか?」すなわち「どうしたら負けないですむか」を常に考えてきました。

「双六(すごろく)の上手といひし人に」

  NICUは、1000g未満の超低出生児を代表とする未熟児や病的新生児を育てる施設ですが、この様な子供たちと向かいあったとき、私は、吉田兼好の徒然草、第百十段のこの一節をいつも思い出していました。双六の名人に勝負のコツを聞いたところ、「勝ちたいと思って打ってはいけない。負けないように打つ、すなわち、どんな手がすぐに負けてしまうかを予測し、そのような手は打たず、少しでも負けるのが遅くなるように打つのがよい」と答えたというものです。
  少しのことで悪い状態となってしまう赤ちゃんには、その子の持っている生命力を頼りに、循環、呼吸、栄養が悪くならないように、すなわち「負けないように」管理することが重要だと感じていました。そして、このことを、NICUの回診やことあるごとに、研修医や学生に言ってきました。

「9着を取らないこと」

  これは、世界選手権個人スプリント10連覇という、世界的な偉業を成し遂げた中野浩一選手の講演を聞いたときに胸に響いた言葉です。
  彼の競輪人生の中で最も誇れることは、世界選手権10連覇よりも、競輪1236走中、最下位の9着は、わずか4回しかないことであるとのことです。不利な状況でも、今持っているできる限りの努力をすることの尊さを言っていることで、「勝つこと」よりも「負けないこと」が大事であると同じだと思います。

大学生活も「負けないこと」が大事

  三重大学医学部への新入生の皆さんは、激しい受験戦争を「勝ち残って」、または「勝ち取って」きた方たちでしょう。医学部は人気学部ですので、応募者も多く、センター試験で1点でも多く得点し、面接や小論文でも人よりも良い加点を得ることが重要です。推薦入学でも、高校で推薦してもらうためには、他の同級生よりも成績などが優秀でなければなりません。しかし、一旦大学に入学し、大学生活の場では、この「勝つこと」への態度はかえって邪魔になることの方が多いように思います。
  医師や看護師として働くとき、一人で働くことはまずありません。同じ施設の医師、看護師、薬剤師、検査技師をはじめ、事務職員、補助職員、関連業者など、ほんとうに多くの方々にお世話になります。この医療職としてのトレーニングを三重大学で行うわけですから、他職種と働くトレーニングもしなければなりません。この時の姿勢としては、「負けないこと」を意識した学習が重要となってきます。

2013/03/18

三重大学産科婦人科学教室からの東紀州地区への派遣について

  東紀州地区は、三重県の南部で尾鷲市と熊野市を中心とした地域であり、人口は約8万と過疎です。平成21年の出生数は465例であり、御浜町にある紀南病院、熊野市にある大石産婦人科、および尾鷲総合病院で行われております。その他、隣の新宮市にある新宮市立医療センターと新宮市の2つの開業医も、三重県東紀州地域の周産期医療に協力していただいております。また、出産以外の産婦人科医療は、紀南病院の産婦人科を中心として行われています。三重大学産科婦人科学教室は、1977年(昭和52年)から、尾鷲総合病院に産婦人科医(藤田弘史医師)を派遣したのをきっかけに、現在まで延べ76名をこの東紀州地区に派遣してきました。

1.東紀州出向は「両刃の剣」
  尾鷲総合病院には1977年(昭和52年)から2005年(平成17年)まで28年間に延べ25名、紀南病院には1981年(昭和56年)から現在まで31年間に延べ36名、新宮市立医療センターには1984年(平成59年)から1997年(平成9年)まで13年間に延べ15名を派遣いたしました。
  ここで注目したいことは、医師が赴任した時期の卒後年数です。ほぼ全員、卒後5年目から10年目に出向しています。他の科もそうですが、この時期は、大体の診療をこなす力がつきます。帝王切開術や単純子宮全摘術も術者として、ほぼ問題なくこなせます。したがって、外来→手術→外来、または、外来→分娩→外来という診療を主治医として担当し、概ね安全に行うことができるようになるのです。さらに、この3病院においては、産婦人科部長として、助産師、看護師をはじめ診療スタッフとの協力体制や、院長はじめ診療施設の管理者とうまく協調していくことが求められ、これらは医師として極めて重要なトレーニングとなります。一方、卒後5年目から10年目は、リスクが高い手術や妊娠・分娩管理でも、「できるだろう」とおこなってしまう傾向にあることも事実です。そのほとんどが、うまくいくものですから、どんどんエスカレートしていき、その内、失敗を経験します。そして、以後、慎重に対応し、先輩や専門家に相談するなど、「念には念を入れる」診療となります。その結果、失敗も経験しながら「引き出しの多い医師」となり、成熟していくのが一般的だと思います。したがって、卒後5-10年目は、産婦人科医としての成長過程の中でも極めて大切な時期であります。
  一方この時期に、患者さんの診療結果が思わしくない場合や、医療訴訟に巻き込まれたりすると、産婦人科診療がいやになって、退職、辞職などを考える傾向にあります。2000年以降に、三重大学産婦人科医局から28人が退局(開業退局は含みません)、辞職されていますが、勤務先が東紀州3病院であった例は7例(25%)でした。すべてでは無いでしょうが、診療上の何らかのトラブル・トラウマが原因であった可能性はあると思います。トップとして、任される東紀州の出向は、医師生命にとっても、医局の人事にとっても、いわゆる「両刃の剣」なのです。

2.新入医局員のリクルートにはマイナス
三重大学のように地域に密着した大学は、東紀州地区のような過疎地に関連病院を有しており、地方自治体から医師派遣を要請されることが常です。隣の岐阜県は、飛騨高山地方、京都府は丹波・丹後地方などがそうで、岐阜大学、京都府立大学の産婦人科医局も同様な問題を抱えています。私がいました宮崎大学では、県の多くの地域が僻地地区であり、県や市町村の要請に答えて、医局員を派遣していました。ただ、僻地病院での勤務はやはり医師、特に若い医師には人気がなく、誰を派遣するかが常に問題でした。家庭を持った女性医師は、概ねこの派遣から免れ得るため、男性医師と独身女性医師が、いわゆる「徴兵的」に派遣されるという傾向にありました。三重大学産科婦人科教室でも、実情は同様なものだと感じ取れます。そして、これが新入医局員のリクルートには、ネガティブ要因であり、大学医局への入局を避け、いわゆる「人事命令を受けない聖域」病院において、研修や就職を希望する若者が増えてきています。すなわち、「医局離れ」です。新入医局員リクルートにとっては、「危難病院」なのです。

3.医局会議を経て
  この「紀南病院問題」を解決するために、昨年秋の医局会で大学医局員に意見を聞いてみました。その結果、①三重大学からの出向は止め、他大学などに依頼する、②出向を順番に義務化する、③東京など都会の医師で、「のんびり」と診療したい方をリクルートする、など様々な意見がでました。私個人としては、平成17年に、尾鷲総合病院と紀南病院の統合として、三重大学主導で紀南病院に3人の医師を集めたという経緯もあり、三重大学が引き続き責任を持って医師を派遣し続けることが責務ではないかと思っております。ただ、派遣方法が従来の、卒後5-10年の比較的若い医師の、いわゆる「度胸試し」ではなく、より魅力的な、若者にも行きたいと思えるような紀南病院産婦人科を目指すべきだと考えます。
  それでは、どのように魅力的な僻地病院を作っていったらいいのでしょうか?第一に、部長は、産婦人科の裏も表も知り尽くしたような経験豊かな医師が望ましいと思います。それが、東紀州出身の方であれば最高です。私の出身は、兵庫県の日本海側の豊岡市という典型的な僻地ですが、古くからの知人が多い生まれ育った地域で、故郷の医療に貢献することも、自分の人生の選択肢であると思っています。第二に必要なのは、僻地病院の空間的疎外感を無くすことであります。それには、医師間の交流などを盛んにする、具体的には、大学などから医師が頻繁に当直、外来および手術応援などに出かけるなどです。もちろん現在でも医局員は、このことに努力してくれていますが、さらなる医師の移動が必要でしょう。さらに、紀南病院の勤務医を3人にして、研修日を多く取ることができるようにしたいと思います。定期的に大学、関連病院、学会などに研修に行くことができるようになれば、空間的疎外感が軽減するのではないでしょうか?第三に、紀南でしか学べないことがあるのではないでしょうか?例えば、地域に密着した検診医療も東紀州ならではと思います。成人白血病ウイルス(HTLV)の感染頻度が高いことが予想されますし、風土病など多くのテーマがあると思います。また、他の病院とは違った、内科や外科との協同診療ができるのではないでしょうか?私も、大阪の田舎である貝塚市立病院勤務の時には、鼠径ヘルニア、虫垂切除術、および腸吻合術などを、外科医の指導のもとに行わせていただきました。

4.千田時弘先生のこと
  千田時弘先生は、三重県菰野町の出身で、平成19年に自治医科大学を卒業され、一昨年、わが同門会に入会していただきました。自治医科大学は、卒後9年間の僻地勤務が義務づけられています。千田先生は、三重県に帰ってこられてからも、産婦人科になることを希望され、平成23年4月から三重県立総合医療センターで勤務され活躍されています。この先生に、県から平成25年4月より紀南病院内科専任の勤務命令が来たのです。2年間の産婦人科医としてのトレーニングが中断してしまい、産婦人科専門医取得も3年遅れることを心配され、昨年秋に相談に来られました。以後、同門会や三重県産婦人科医会の先生方に協力していただき、県にお願いを続けました。三重県健康福祉部と三重県地域医療研修センター長の奥野正孝先生始め自治医大OBの先生方のご理解を得、正式に紀南病院産婦人科専任医としての赴任が決定いたしました。三重県で働く産婦人科医が少ないことが大きな要因であったと思いますが、このような寛大な決定をしていただいた県と自治医大関係者に感謝申し上げるとともに、今後親密なる協力体制をとって行政協力を行って行きたいと思います。また、東紀州の産婦人科医療に携わられる千田先生には、ぜひ、前述したような、魅力的な紀南病院産婦人科を作っていっていただきたいとお願いします。

2013/02/26

10000時間の法則

  オレゴン州、ポートランドに住む、ダン・マクローリン(Dan McLaughlin)は、30歳まで、ゴルフを18ホール回ったこともない、平凡な写真家でした。彼は、2010年4月に写真の職業をやめ、週に30時間余りゴルフの練習を送る生活をし、2016年10月までにPGAツアーに参加するという目標をたてています。これは、「ダン・プラン」と呼ばれるもので、彼のコーチや理学療法士などと組んで、「10000時間の法則」が本当かどうか実証しようというものです。
   「10000時間の法則」というのは、フロリダ州立大学の心理学教授であるアンダース・エリクソン教授(Anders Ericsson,)が提唱したもので、どんな分野でも天才とよばれる抜きんでた者は、10000時間の練習や下積みがあるという理論です。たとえば、ベルリンの音楽アカデミーでは、小さいころから毎週の練習時間を記録することを課していますが、世界的に有名なプロバイオリニストは、20歳までに平均10000時間の練習をこなすそうです。一方、音楽の先生になるレベルのバイオリニストは平均4000時間、その中間のオーケストラのバイオリニストは平均8000時間であったと述べています。この練習時間は、先生から指導を受けて、よく考えながらの練習“deliberate practice”に限りますが、練習時間の多さが、プロになるには必要であると強調しています。彼の説は、ビートルズがイギリスで有名になる前にハンブルグのクラブで約10000時間、演奏したことや、ビル・ゲーツがコンピュータプログラミングを10000時間費やした後に、ブレイクしたことなどから、「10000時間の法則」と呼ばれるようになっています。しかし、プロフェッショナルと呼ばれる高さまでその技術、技能を高めるためには、その人がもつ才能や体格、そして始める年齢なども重要であることは、誰もが認めるところでしょう。才能か努力か?という問いに答えるために、「ダン・プラン」は立ち上がり、アメリカ人としては体格が劣る30歳という、ごく普通のダン・マクローリンのチャレンジは、寄付金を集めながら続けられており、3分の1の時間が過ぎた今、ハンディキャップ6までになっています。ゴルフ部のみなさんは、現在までに何時間ゴルフに費やしてきましたか?私はとても、10000時間とはいきません。
  日本の医学部で、医学生は、専門の講義と実習を6年間にわたって10000時間おこないます。5年間で1日5.4時間医学を学びます。卒後、初期研修として2年間で10000時間医療に携わります。1日13.7時間です。時間的には10000時間の法則に則っているのですが、問題は、良い指導者から、自分で良く考えながらの“deliberate practice”が10000時間でなければならないのです。

2013/01/04

平成 25 年を迎えて

  三重県産婦人科医会の先生方には、常日頃から患者さんのご紹介をはじめ、産婦人科医療に関わる様々なことで、大変お世話になっており、ありがとうございます。平成 23 年 9 月に、三重大学医学部産科婦人科学教室に赴任して参りましてから、約 1 年半が経ちまし た。産婦人科医会と学会は、車の両輪であるべきといわれていますが、三重県ではお互い の立場を忘れてしまうぐらいの「一輪車」であり、最も理想的な県だと、ありがたく感じております。私が赴任した時の抱負として、①三重県で働く産婦人科医師の増加、②患者 さんと医療者のための産婦人科医療の「規制緩和」、③三重県全体をフィールドとした研究の促進、の3つを柱として取り組んでいきたいと考えておりました。現在、どれ位、これ らのことが達成できているかを以下に振り返り、今後の展望を述べさせていただきます。

1. 三重県で働く産婦人科医師の増加
  平成 24 年には、三重大学産科婦人科学教室に 6 人の専攻医が入局してくれました。また、 平成 25 年にも 7 人が入局する予定です。これは、三重大学のみならず、関連病院の指導的立場にある先生方が、日頃より医学生教育、研修医教育に力を注いでいただいたおかげです。三重大学のポリクリ学生の多くが、産婦人科実習に対して、「雰囲気がいい」「良く指 導してくれる」と答えてくれております。これも、佐川典正教授が医学生に対して魅力的 な学習カリキュラムを考案され、卒後臨床教育長として、初期研修医にとって、充実した 教育システムを作って頂いたことが大きいと感じております。医会の先生方にも、「励ます会基金」など、物心ともに多大な援助をいただいており、ここにお礼を申し上げます。新入局の専攻医以外にも、鈴鹿医療科学大学教授として赴任していただいた石川薫先生はじ め、数人の先生方が三重の産婦人科医療のために他県からおいでいただきました。
  今後さらなる三重県の婦人科医、特に若い医師を増加するために、2 つのことを今年から 始めようと思います。一つは、三重県以外に関連病院を持つことです。これまで、産婦人 科医療を学べる施設や関連病院を三重県のみにしか持たなかったことは、国内留学などは 別として、三重大学産科婦人科学教室にとってハンデキャップでした。医学生を含む三重 の若者は、どうしても都会志向が強い傾向にあり、東京、大阪、名古屋などの大都市に出 てみたいという夢を持っています。したがって、三重大学関連病院を三重県以外に置くこ とは若者のニーズに合致していることだと考えています。最初の試みとして、平成 25 年 4 月から、東京都府中市の榊原記念病院に産婦人科を三重大学の関連病院として開設いたします。これは、私の前任地、国立循環器病センターの友池仁 暢院長が、3 年前に東京の榊原記念病院の院長職に就かれたときから、同病院に国循周産期・婦人科部のような科を設 立してくれないかと、相談されたことから端を発しております。幸い、国循に勤務し、三重大学産婦人科同門会に昨年から入会いたしました、桂木真司君が東京赴任を決意してくれましたので、実現いたしました。教室から誰を派遣するかなど、まだまだ未定な部分は ありますが、若い医師たちにとって、勤務してみたいと思われる魅力的な関連病院となる ように努力いたします。
   もう一つは、紀南病院問題の解決です。これまで、紀南病院は、三重大学産科婦人科学 教室から、部長以下派遣している東紀州地区の基幹病院です。東紀州地区は、尾鷲総合病 院に昭和 52 年に藤田弘史先生が赴任なさって以来、紀南病院、新宮市立医療センターの 3 病院に、教室から現在まで、延べ 76 名を派遣して参りました。また、平成 17 年には紀南病院に集約一本化されました。この東紀州地区病院への出向は、残念ながらこれまで、い わゆる「徴兵的」なものであったのは否めません。そして、そのことは新入医局員のリク ルートにはマイナス要素になっており、したがって、派遣のあり方をこれまでのものから 変えていかなければならないと考えております。詳細は、三重県同門会会誌に述べました のでお読みください。

2. 患者さんと医療者のための、産婦人科医療の規制緩和
  我々、医療者の本分は、当然、患者さん方の健康を守ることであります。そのことを充分果たすためには、医療システムの充実とともに、医療者のクオリティーオブライフも重 要です。このことは佐川典正教授が強く訴えられ、三重県で実践され整備されました。患 者さんの安全性と医療者の働き易い環境をさらに向上させるため、現状の医師雇用システムや医療行政システムで不都合なことがあれば、さらなる変更も必要であると考えており ます。これを達成するためには、従来の規則や決まりを変更すべき場合もあるということ で、「産婦人科医療の規制緩和」と呼ばせて頂きます。
   まず、行いましたのが、最も難しいといわれている県立病院と市立病院の間での医師の相互派遣です。この目的と開始までの経緯は昨年の同門会誌に書かせていただきましたが、 平成 24 年 6 月から市立四日市病院と三重県立総合病院の間でスタートすることができまし た。月に 3-4 人ずつの手術応援、当直応援を行っていただいています。緊急時に数人が他病院に集合し、重症患者への対応を可能にするまでには至っていませんが、人脈・交流お よび研修内容の拡大などの効果が出来ているものと期待しています。ただ、市立四日市病院から県立総合病院では、派遣者に直接給与が渡るのに対して、県立総合病院から市立四日市病院への派遣は、派遣者個人ではなく産婦人科にデポジットされ、産婦人科の中でコ ンピュータなどの「現物」として支給されています。公務員法に従うために仕方がないと いうことらしいのですが、派遣者自身のモチベーションも上がらないのではと心配しております。本年は、三重大学と三重中央病院、済生会松阪病院と松阪中央病院との間でも、 患者さんと医療者のための協力体制を始めていければと考えておりますので、ご協力よろ しくお願いいたします。
  また、卒後 3 年目からの産婦人科専攻医研修施設は、これまで大学病院と公的病院のみに限られておりました。しかし、公的病院における正常分娩数の減少や、日常一般外来疾患の経験不足など、産婦人科医となるために充分な経験を得るためには、さらに研修病院 を広げる必要があると考え、平成25年度からは個人開業施設も研修病院として加わって いただく予定です。病病連携や病診連携を学ぶためにも、重要なことだと考えております。
  さらに、二次・三次病院から、緊急時に医師、場合によっては血液製剤などを携えて、高次施設勤務の医師が、一次施設に出向いて診療応援するシステムを構築することも、産 科出血による母体死亡などの産科救急に対して有効であると思います。これは、胎盤早期剥離による周産期死亡や、脳性麻痺を始めとする周産期脳障害の発生が減少していない今日、より多くの生命を守るためには、従来の一次から高次施設の搬送のみにとらわれていてはいけないと思います。また、母体死亡、脳性麻痺と結果的には同じでも、その地域の医師ら、皆で全力を傾けて治療してくれたという事実は、その後の医療訴訟や患者家族と のトラブルも減少していくものと考えます。
   その他にも勤務医と開業医、他科と産婦人科の連携の再構築など、あくまでも患者さんの安全と医療者の働き易い環境作りのために「産婦人科医療の規制緩和」を進めていくべ きであり、現実的なアイデアを出し合っていただければと思います。

3. 三重県全体をフィールドとした研究の促進
  三重県は、その人口や分娩数など全国の 1.5%で、北の工業地帯から南の過疎地域まで有 し日本の縮図であります。また、三重県においては、産婦人科医会と産科婦人科学会との垣根がほとんどないなど、県全体をフィールドとした臨床研究を行う上で、優位な基盤を持っています。このことは全国の都道府県を眺めてみても、極めて稀なことだと思います。 したがって、研究は三重県全体のデータによる臨床研究を大事にして参りたいと考えてい ます。
  まず、平成 24 年から、三重県周産期症例検討会を開始いたしました。これは、三重県における 5 つの周産期センターの現場で診療にあたっている産科側と新生児側の医師、約 10 名余りが、診療した死産、新生児死亡、および脳障害が予測される症例を持ち合い、検討する会です。4 ヵ月毎に、三重大学で開催しています。平成 24 年は、全三重県において、19 例の死産、15 例の新生児死亡、30 例の周産期脳障害が予想される症例を検討いたしま した。症例検討上、浮かび上がった問題をまとめて、三重県における周産期の現状と課題 を報告する予定です。
   また、三重県婦人科癌登録事業が、三重県産婦人科医会との共同事業として、平成 24 年 1 月からスタートいたしました。これは、上皮内癌、子宮内膜異型増殖症、境界悪性卵 巣腫瘍および胞状奇胎以上の、婦人科悪性腫瘍を登録していただく事業です。全県下とし て、このような事業を、一次施設と一緒に行っている都道府県はなく、HPV ワクチンの効果など、我が国のがん対策に関する貴重なデータがでてくるものと期待しております。
  さらに、平成 24 年 11 月から、日本医療機能評価機構による産科医療補償制度の見直しのため、脳性麻痺児の発生頻度に関する医学的調査のモデル県として、沖縄県、栃木県とともに三重県が指定され、調査が開始されました。これは、われわれが目指す、三重県全 体をフィールドとした研究の基盤を作る上で、またとないチャンスであり、現在多くの施設、や先生方の協力を得ながら進めています。

  以上、3 項目とも順調な経過をとっているものと考えており、これもひとえに三重県産婦 人科医会の先生方のご支援と、三重大学産科婦人科学教室の 70 年の伝統に支えられたものと感謝申し上げます。本年もよろしくお願いいたします。

2012/04/19

大学医学部医局とマグネット病院

  平成23年9月から、佐川典正先生の後任として、三重大学医学部産科婦人科学教室を担当させていただいております。津地区医師会の先生方におかれましては、日頃より患者さまを紹介していただき、大変お世話になっており、ありがとうございます。安の津医報への寄稿として、現在進めております、我々の医局とマグネット病院との連携について、述べさせていただきます。

大学医学部医局の弱点
  大学医学部には、医師免許取得と学位取得という、医師と医学者を育てる大きな使命があり、また大学医局は、これらの育成とともに勤務医派遣と地域医療への貢献という、もう一つの役割もあります。地域医療へ貢献するために、時には医局員にとって人気のない関連病院にも医師を派遣しなければならないという医局人事は、最近の新卒者が入局しない大きな原因となっています。したがって、医学部卒業者の大学医学部入局率は、新臨床研修医制度が開始された平成16年から、極度に減少しました。症例が多く、指導医の充実した、いわゆる求心力のある「マグネット病院」で研修しようと、優先的にマッチング施設として選ぶわけです。しかし、私は国立循環器病研究センターの部長をしていた経験から、「マグネット病院」にも、「スタッフ医師の定着力の弱さ」という大きなウイークポイントがあり、これからは、大学医局の再評価の時代がくると考えております。本寄稿では、大学医局とマグネット病院に関して私見を述べ、今後はこの2つの有機的な協力が必要であり、三重大学産科婦人科学教室でも、このような協力を進めていくべきであると思います。

マグネットホスピタルの弱点
  私は6年間、国立循環器病研究センターという高度専門医療施設、いわゆるナショナルセンターの、周産期・婦人科部の部長として勤務しました。平成22年に独立法人化となりましたが、それまでは厚生労働省直属の専門施設でした。心臓病をはじめとする循環器病合併妊娠、出産を年間100例以上、胎児心臓病を年間約40例以上扱うなど、全国的にみても特色のある施設です。これらの臨床症例をまとめ、発表してきました。また基礎的研究を行うレベルの高い研究所も併設されていますので、臨床と研究を十分行うことができました。これらの実績から、研究費は、比較的順調にいただくことができ、全国からこの分野に興味のある産婦人科医を多く集めることができました。いわゆる最近の言葉では「マグネット病院」と呼んでも良い状態となりました。しかし、部長として最も頭を痛めたことは、常に医師を集めてくる努力をしなければ続かない、という不安です。興味のある医師は国循に来てくれるのですが、一定期間がすぎると、出身大学に帰って行ってしまいます。優秀な医師ほど、大学医局の吸引力が強い傾向にあります。大学医学部のように医学生時代から医師を育てることができないという大きなハンディキャップがあると思いますが、また、大学医局が持っている、学位取得と関連病院への就職先確保という2つの機能が無いために起こる、スタッフ医師の定着能力の弱さが大きな悩みでした。
  ある先生から、国循は「道場」だといわれました。すなわち、何々藩からの藩士が、剣術を上達するための最適な場所なのですが、剣術がうまくなったら、「藩」に帰ってしまいます。したがって、「道場」がはやるためには、弟子をとりつづける努力がいるのです。「道場」に優秀な先生がいなくなり、他に同種類の道場ができてしまえば、存亡の危機に直面します。

大学医学部医局とマグネットホスピタルの協力
  大学の医局とマグネット病院が、従前の医局‐関連病院とは違う形で協力し、弱点を補え合えば、単発のマグネット病院よりもバラエティに富んだキャリア形成環境が実現でき、スケールアップが図ることができると思います。特に三重県は、愛知県や大阪府などという大都会と隣接しており、三重大学医学部の新卒者は、名古屋と大阪の病院を中心に新臨床研修医制度のマッチングを選ぶ傾向が多いように見受けられます。そこで、名古屋や大阪の「マグネット病院」と連携することで、われわれの産科婦人科学教室の発展を図ることは理にかなったことだと考えています。
  すなわち、「マグネット病院」の弱点である、スタッフ医師の定着力不足、学位取得ができず、就職病院が無いことを補い、大学医局の弱点である、固定した医師派遣のあり方を補うというものです。

関連病院と連携病院
  三重大学医学部産科婦人科学教室では、本年から、我々の医局から部長を派遣している病院を関連病院(affiliated hospital)とし、診療のトップは、他大学や我々の医局からではない医師によって運営されている病院で、医局員を派遣している病院を連携病院(cooperative hospital)として、病院協力の枠を拡大しました。そして、後者として、全国のマグネットホスピタルと有効な協力を進めていくことを新たな目標としております。これは、三重県のみでなく、多くの先端技術や特殊技術を持ったマグネットホスピタルにおいて研修したいと希望する、若い医師のニーズに答えるためです。したがって、三重大学医学部産科婦人科学教室に入局したのち、連携病院において研修するという新しいキャリアパスが開けてきました。全国の、産婦人科を目指す、若い医学生、初期研修医の皆さん、ぜひお問い合わせください。

最後に
  我々の教室のモットーの一つに、地域(community)を最も優先することがあります。
  津で信用されなければ三重県で信用されません。三重県で信用を得なければ日本で信用を得ることは不可能です。津地区医師会の皆様に信用していただけるよう、教室運営を行って参る所存ですので、ご指導の程よろしくお願いいたします。

2012/03/19

三重県立総合医療センターと市立四日市病院の産婦人科医師の協力体制について

  三重県立総合医療センターと市立四日市病院は、四日市市にあり、同市のみならず三重県北部、北勢医療圏の、高次医療センターとして機能しています。産婦人科医療に関して は、高次病院、かつ地域周産期センターの役割を担う重要な病院です。どちらも、三重大 学産科婦人科学教室から、多くの医師を派遣しており、大切な産婦人科医師の研修病院で もあります。北勢は県下で、人口も出産数も唯一増加しており、県は、平成 24 年度から、 市立四日市病院を三重中央医療センターに次ぐ第2の総合周産期センターとして指定する 予定です。そこで、最も大きな障害となるのが、産婦人科医師の確保問題です。しかも、 市立四日市病院に勤務しておられた、3 人の医師が、平成 24 年 4 月から退職や休職される ことになり、現在の 7 人から 4 人となってしまうことになったのです。このお話は、平成 23 年 11 月 7 日、三重大学に、市立四日市病院の一宮院長と、辻統括産婦人科部長、三宅産婦人科部長がお越しになり伺いました。
  そこで、我々三重大学産科婦人科学教室として、市立四日市病院の医師が市立四日市病院以外で勤務することをお許しいただくことと、その代わりに、県立総合医療センターの 医師が、市立四日市病院に応援勤務をした場合に、相応の報酬をしていただくことをお願 いしました。四日市市にある2つの総合病院を、1つの医師群でカバーする構想を提案い たしました。以下に、このことのメリットを述べ、その後の経過を報告させていただきま す。

1.マンパワーの必要なときに、より多くの医師が確保できる
  産婦人科、特に周産期医療は、夜間に分娩が重なるなど、忙しい時と、そうではなく比 較的時間に余裕がある時の、波が大きい医療です。例えば、品胎妊娠の妊娠高血圧腎症症 例の早産分娩などは、6人以上の産婦人科医が必要です。したがって、安全な産婦人科医 療を確保するためには、リアルタイムに必要な医師を、有効に増加させるシステムを構築 することが重要です。いわゆる「最大瞬間風速を上げる」仕組みが必要なのです。
   このシステムを作っていくときに障害となっているのが、勤務医の就業規定です。すな わち、勤務医病院以外の診療を禁止すること、勤務医病院以外から報酬を得ることを禁止することです。
   しかし、現在のように産婦人科医師数が少ないときに、総合と地域の周産期センターで ある両病院において、人手の要る事態が起こった時、安全な医療を提供するために、どうすればよいのでしょうか?自院の医師数が少なければ他院の医師の応援を得ることは、安全のために、ごく当たり前のことだと思います。したがって、県立総合医療センターで必 要であれば、日夜を問わず市立四日市病院から応援にかけつけ、また逆に、市立四日市病 院へ県立総合医療センターに応援に出かけることは、患者さんの安全のために必要である と考えております。
 
2.よりレパートリーの広い産婦人科研修が可能となる
  若い研修医を派遣する場合、その病院における研修内容は、研修医にとって最も重要な 関心事です。したがって、複数の病院の移動が可能となり、研修にレバートリーを持たせ ることができれば、研修医が行きたい病院群となると考えています。たとえば、県立総合 医療センターの産婦人科では、県下で最も数多い腹腔鏡手術を行っておられます。一方、 市立四日市病院では、骨盤臓器脱に対して、tension-free vaginal mesh (TVM)を手掛けて おられます。また、市立四日市病院においては、妊娠28週未満の超低出生児の分娩が習 得できます。研修医や専攻医が、2つの病院にまたがって研修できれば、より研修内容も 充実すると考えます。ひいては、若い医師が産婦人科を志してくれるようになるのではと 期待しています。
 
3.医師の待遇がより良くなる
  これまでは、他科にくらべて労働量の多い産婦人科勤務医の待遇改善策として、分娩手 当や時間外手当の支給などが一般的でした。月の基本給与を上げることは、「他科の医師と のバランスがとれない」という理由でご法度でした。しかし、以下の話は知り合いの医師 から聞いた話ですが、自分の勤務病院で頑張っている医師と、院外からの応援医師との待 遇のアンバランスを象徴するエピソードだと思います。ある公立病院の一人医長で頑張っ ておられる 60 代の先生が、土日を利用して学会に行くために、自分の出身大学の医局に頼 んだところ、土日で 50 万円以上の当直料を要求されました。しかし、背に腹は代えられないと、その公立病院は支払い、常勤医の後輩である産婦人科医が土日当直に来たのです。 当直医は、当直中、仕事らしい仕事はせず、陣痛発来患者の入院の対応を行いました。常 勤医は、日曜日の夕方に帰院し、交代した後、その日の内に分娩を行いました。常勤医の 当直料は一日 1 万円余りなのですが、その 10 倍以上もの当直料が非常勤の産婦人科医に支 払われているのです。
   したがって、限度はあると思いますが、市立四日市病院の医師が県立総合医療センター の日直、外来、手術、当直などを行い、その逆に、県立総合医療センターの医師が市立四 日市病院の業務を行い、それ相当の報酬を得ることは、医師の待遇の改善につながるのではと考えております。
 
4.その他のメリット
  われわれが、他病院に行き見学することは、極めて勉強になります。それぞれの、違っ た病院の良いところを学べるからです。三重県の病院における産婦人科は、三重大学産科 婦人科学教室で初期教育を受けた医師がほとんどであるため、手術手技にしても多くの共 通点があると思います。したがって、治療の標準化が行いやすい素地はもとよりあるわけ ですが、市立四日市病院と県立総合医療センターの医師が交流することで、治療の標準化 に近づけることが期待できます。その他には、業務可能な産婦人科医師数の増加により、 夏休み、冬休みなどの長期休暇を取得しやすくなる、両病院の交流を図ることにより、開業産婦人科医と高次医療施設の連携がどのように行われているか、北勢医療圏における産 婦人科医療の実態を把握しやすくなる、開業医からの紹介患者の窓口の一本化も可能であ り、総じて北勢医療圏の充実につながる、などが考えられます。
 
5.デメリット
  デメリットも当然あると思われ、以下に考えられるものを列記しました。
① 業務内容が増え煩雑となる:普段勤務していない病院における業務をすることとなり、 小児科など他科との連携や看護師、助産師、検査技師などの協力体制に支障をきたす可 能性があると思われます。
② 主治医性の診療が行い難くなる:医師同士の連携がより重要となり、チーム医療、グループ診療が中心となることが考えられます。しかし、これはむしろ、デメリットではな いかもしれません。
③ 病院間の移動の問題:当然、それぞれの病院間を行き来することが多くなります。
④ 医療トラブルの問題:医療事故や患者・患者家族とのトラブルなどの発生時に、他院所 属の医師が関与し医療の場合に、どのように対応するのか未解決です。
   しかし、以上のデメリット問題もあわせて、予想される問題点について、十分考慮し、 対策をあらかじめ立てていけば、総合的にみてメリットの方が多いシステムだと信じております。
 
6.その後の経過
  年が明けた平成 24 年 1 月 18 日に、市立四日市病院に伺い、一宮院長から市立四日市病院の医師が県立総合医療センターで勤務すること、その逆の勤務もあり得ることをお認め 頂きました。また、1 月 25 日に、県立総合医療センターに伺い、高瀬院長にも、大筋でお 認め頂きました。現在、県立総合医療センターの三輪事務長と、市立四日市病院の村田事 務長をはじめとした事務局の調整が行われております。
  このプロジェクトは、全国に先駆けた、産婦人科医療、周産期医療の新しい集約化のモ デルになるものと考えております。現場の医師はもとより、三重産婦人科医会の先生方の 応援をいただきますようお願いいたします。

2012/03/01

三重県における集団ベース研究(population‐based study)

  平成23年9月から、三重大学医学部産科婦人科学教室を担当させていただいております。就任の抱負として、私の在任期間中に最も達成したいと考えております目標を述べさせていただきます。
  それは、三重県における集団ベース研究(population based study)が行えるインフラを確立することです。三重大学における研究も重要ですが、それ以上に三重県という全体の産婦人科医療に対する充実に力を注ぎたいと思っております。また、臨床研究として、三重県というフィールドに関わる産婦人科医療の研究を皆で行ってゆきたいと考えております。

1.臨床データベースは正確性とフィードバック時間が重要
  まず、わが国においては、本当に臨床的に役立つデータベースが少ない現状があります。本当に役立つとは、データを基にして、臨床的・行政的に予防や改善対策を立てていく上で有用なものであり、それが短期間でフィードバックできればより効果があります。すなわち、(正確性×時間)が要求されます。たとえば、周産期医療の中で、脳性麻痺発生率は、沖縄県や鳥取県などの地域で調査されています。しかし、県全体の医療の良し悪しと関連づけられたものではありません。この沖縄県をはじめとした脳性麻痺発症率は、平成21年から開始された産科医療保障制度の準備段階で、基礎データとなりました。すなわち、年間に全国で800例の脳性麻痺が発症すると推定されたのです。発症1例あたり3000万円が支給されるため、240億円が用意される必要があり、必要経費も入れて約300億円を集めなければならないと計算されました。このために、各分娩機関からは、前年の施設分娩数に3万円をかけた保険金を供出することになったのです。しかし、実際に挙がってきた数は年間約200例であり、当初見込まれた額と大きく解離してしまいました。このエピソードは、いかに臨床的に正確なデータが必要であるかを示すものだと思います。
  一方、がん登録では、癌死亡数は比較的正確に把握できますが、癌罹患数はなかなか直ぐに把握することが困難です。死亡が死亡統計から比較的簡単に把握できるのに対して、疾患の発症は、現場の医師の登録など、手間ひまがかかり、短時間でできないことは容易に理解できます。癌の死亡率と罹患率は約4年間のギャップがあるのです。しかし、がん治療の進歩の速さを勘案すると、短期的フィードバックを行うのに4年間は、長すぎる感があります。できるだけ、短期に治療方針などが見直せるしくみの重要性しめす一例だと思います。

2.妊産婦死亡の登録と評価と予防策
  妊産婦死亡は、妊娠中または、産後1年以内の死亡と定義されますが、実際より過小に登録されていることが問題となっていました。私は、主任研究者として、過去6年間に渡って厚生労働省の科学研究費を頂き、この妊産婦死亡問題を研究しています。当初から臨床的に本当に役立つ正確なデータベースを作るのが目標でありました。様々な難問はありましたが平成21年から、日本産婦人科医会の多大な協力を得て、日本で起こった妊産婦死亡の登録と、評価を行い、防止策を提言できるシステムをやっと作ることができました。平成21年には51例の症例が登録されましたが、この数値は国の公式統計値の49例よりも多く、我々のデータ収集の方がより正確であることがわかりました。また、妊産婦死亡の発生要因などの解析が可能であり、この分析から、時間をおかずに有効な予防策を提言することが可能なインフラ作りに成功しております。

3.集団ベース研究を行う上での三重県の優位性
  三重県は、その人口規模と多様性において、わが国を代表しています。人口約170万人、出生数は約1万6000であり、我が国の約1.5%です。サンプリング数として、適切であると思います。これまで私は、全国的な周産期医療についてのアンケート調査を、数件行ってきました。この経験から気づいたことは、約1~2%のデータが集まった時点で、ほぼ傾向がわかることです。また、三重県は、北の工業地帯から、南の過疎地域まで、日本の縮図とも考えられます。人口集中に関する問題、過疎の医療の問題など、わが国の対策をたてるために、多様な特性を持った地域医療が展開されています。
  さらに、三重県の公的病院と私的な医療施設における、ほとんどの医師が三重大学産婦人科教室の出身か、三重大学と関連の深い先生がほとんどであります。この点でも、三重県全体での集団データ研究を行うのに有利であると考えております。

4.具体的な計画
  三重県周産期症例検討会:三重県における5つの周産期センターの現場で診療にあたっておられる産科側と新生児側の医師、約10名余りが、診療した死産、新生児死亡、脳障害が予測される症例を登録し、検討する会を2012年に立ち上げる予定です。私がかつて、宮崎大学に勤務していたころに、恩師である池ノ上克産科婦人科学教授が「宮崎県周産期症例検討会」をたちあげられ、私は事務局を担当させていただきました。宮崎県は、宮崎大学出身のみでなく、九州大学、熊本大学および鹿児島大学医局の出身の先生方が、それぞれの関連病院で診療していた状況がありました。そこで、平成10年から、県下6つの周産期センターの産科側と新生児側の医師約12人が一同に会して、年2回、症例検討を行いました。その結果、それぞれの参加者の用語がスタンダード化され、コミュニケーションが豊富になりました。それ以後の電話相談などを頻繁に行うようになり、ヒューマンネットワークが広がりました。平成11年に、宮崎県は全国一周産期死亡率の良い県となり、それ以後も上位に度々名前を連ねており、周産期医療先進県として全国的に有名です。三重県では、先ほど述べた理由で、医師の顔や性格などよくわかっているわけで、宮崎県よりもこの点の事業が行いやすいと考えております。幸い、三重県からもこの研究に補助をいただいており、これからの成果を期待しています。
  婦人科癌登録:わが国で正確な癌統計が県単位で取られているところはほとんどありません。教室の田畑務准教授のもとで、三重県における、婦人科癌に関する臨床データを集め、解析するプロジェクトを開始しました。子宮頸癌、子宮体癌、卵巣癌の3つの癌種が対象で、リアルタイムに予後調査などを行ってまいります。例えば、子宮頸癌は近年若年化の傾向があり、そのため、国から人パピローマウイルス(HPV)ワクチンの公費助成が始まっています。このワクチンの地区ごとの接種率は容易に判明するため、HPVワクチンによる子宮頸癌予防効果も判定することが可能となります。すなわち、HPVワクチンの対費用効果を実測することが可能となり、有用な臨床観察データになる可能性があります。また、県内の関連病院にて婦人科癌治療の均てん化をはかり、統一した治療法による多数の症例のデータベースを作っていきたいと考えております。

5.プロジェクトを成功するためには
  これらの集団ベース研究を成功させるために必要なことは、発表代表者を一つの施設が独占しないことだと思います。各施設からのデータベースを基にした研究ですので、当然なことなのですが、これまで多くの研究が半ばにして頓挫したのが、発表者の問題です。この度、日本産科婦人科学会の専攻医指導施設指定基準として、発表論文数が規定されるようになりました。三重県として集団ベース研究を行い、全体のデータを分担して各施設が発表することは、この論文数施設基準を充足することにも繋がるものと考えております。ぜひ、ご協力よろしくお願いいたします。

2012/02/26

ゴルフと手術

  この度、ゴルフ部の顧問を仰せつかりました産婦人科の池田智明です。高校時代は陸上部、大学時代は野球部に所属しましたので、ゴルフは部活として行ったことがありません。しかし、今、最も上達したいスポーツはゴルフですので、ゴルフ部の顧問になることができ、皆さんとコンペで一緒にプレーできることを大変喜んでいます。といいますのは、三重大学産婦人科教室の同門会にはゴルフの上手な先生がたくさんおられ、コンペでも90台ではまず優勝できないぐらいレベルが高いのです。一度は、同門会ゴルフ大会で優勝してみたいと思っており、ゴルフ部の皆さんと一緒に練習して、上手くなろうと考えています。
  さて、産婦人科は外科系であり、手術療法は重要な治療手段です。日々、手術をしていて、この手術とゴルフは極めて似ていると感じており、以下に共通点を述べます。
(1) まず、手術をする臓器の解剖が理解されていることが大切ですが、ゴルフでもコース設定がしっかり頭に入っていることが必要です。思わぬ、バンカーやOBが待ち受けていますが、手術中にも出血しやすい小さな血管などが待ち受けており、あらかじめ準備しておくことが大事です。
(2) 上手になるためには、まず良い指導者につくこと、解説書などをしっかり読むこと、ビデオなどで視覚的に学習すること、そして実際に練習・実戦を続けることが重要です。これは、手術、ゴルフ以外にも当てはまることですね。また、これで終わりということがなく、一生学ばなければなりません。私は、自分用の腹腔鏡下手術のシミュレーション装置を自室に置いて、日々トレーニングをしています。ゴルフに関しても、自分の部屋にパター練習装置を持ち込みたいのですが、人目もあり、実現していません。
(3) また、使用する道具も、常日頃から、最新の情報をアップデートして、自分に合うものを求める努力が必要です。最近の手術用具も、超音波凝固切離装置や癒着防止シートなど、次々に新しいものが出てきています。ゴルフ用具もクラブ、ボールのみでなく、練習器具など周辺機器の進歩が著しく、良い道具を求めることに貪欲になるべきと思います。
(4) さらに、苦境やピンチに陥ったときに、どのように対処するかで真価が問われます。手術もゴルフも順調な時にはいいのですが、どこから出ているのかわからない出血など通常から逸脱した時、ボールが林やラフに入ったとき、最小限の出血で済ますか、大きくスコアを崩さないかは、まさに、その人の実力です。じっと我慢しなければならない時もあり、カーとなって怒ったりするのは最低です。
(5) 最後に、良い人間関係を作ることは極めて重要です。手術も単独で行うことよりも複数ですることの方が多いです。ゴルフは個人競技というものの、一人でラウンドすることは稀でしょう。気持ち良いメンバーやキャディーさん当たると5打ぐらいは良くなります。手術でも上手な助手やスムーズな機械出しの看護師さんにあたると、より順調な経過となるでしょう。しかし、気持ちよいメンバーも上手な看護師さんも、案外こちらの気遣い次第でそうなることも多いものです。
  以上のように、手術とゴルフは多くの共通点を持っています。したがって、ゴルフを本気で打ち込むことは、手術がうまくなり、良い医師になる道に繋がると信じています。外科系の医師にゴルフ好きが多いのも納得といったところでしょうか。ただ、「先生の手術のハンディキャップはいくつなのですか?」と疑われないように、本業の方も精進したいと思っています。どうか、今後ともよろしくお願いいたします。